YORIAI1-1-1 Vol.5

YORIAI1-1-1 VOL.5

「創業440年を迎えて~日本への恩返しという使命~」

  語り部:冨田 浩志(とみひろグループ代表)



冨田和司店長(以下冨田店長):

YORIAIですが、お陰様で、本日5回目を迎えます。

このYORIAIは、モノづくりに関わる方々に色々なお話を伺いながら、手仕事の未来について寄り合い形式で皆様と一緒に考える場所です。YORIAI1-1-1のこの数字は、この住所が南青山1丁目1番地1号”であることに因んでいますが、ここが始まりとなる、という意味合いも込めています。

これまでに、YORIAIを通じて、様々なジャンルの違う方々と着物や絹について、深く語り合ってきました。

知らない土地に行くと自分のことが良くわかる、って言うと思いますが、まったく違うジャンルの方々とお話をすると、絹や着物の魅力が改めて認識されるんですね。そういう意味でも、YORIAIっていうのは、やる意義があると思っています。

本日は、私たちが取り組む山形でのモノ作りへの挑戦を、ここ青山から発信したいと思います。

山形っていうのは、よく言われるんですが、宣伝下手なんですよね。口下手というか。そうした中で、山形のことを、この東京を起点に発信できるということは、すごく嬉しく思っています。

実はこのお店自体の内装にも、様々な山形の要素を取り入れています。例えば、照明を飾っているものは、私たちの山形市の自社工房「染織工房」で染めた草木染めの紬糸です。またカウンター周りの土壁は、白鷹の桑畑の土を180kg送ってもらい、それを塗りこんでいます。

本日は、青山とみひろオープン1周年を記念しての開催でもあります。

今回は私たちとみひろグループの代表である冨田浩志が語り部となり、私たちの山形でのモノ作りへの挑戦についてお話しいたします。

新規就農で養蚕農家へ

冨田浩志社長(以下冨田社長):

みなさん、養蚕農家が今全国でどの程度あるかご存知ですか?実は、もう300件を切っているんですね。

そして山形には養蚕農家は今、5件しかありません。養蚕農家の平均年齢は80歳。あと10年したら、おそらく全国150~200件となり、さらに50年したら間違いなく50件程度に減ると思います。

こうした養蚕を取り巻く事情を知った時、非常に驚きまして、今やるしかない!ということで、私たちは3年前に桑畑作り、養蚕事業を始めたんです。

今、山形県白鷹町にある私たちの桑畑では、桑も随分大きく成長して2メートル近くになっています。3000坪の広さの土地がありますが、2300本の桑が植えられています。

ですが、始めた当初は本当に大変でしたね。まず、この桑畑を作るにあたっても色々と苦労が絶えませんでした。

なにせ、畑を作ろうと思ってから気がついたことには、畑の周りに田んぼがあるとダメだということなんです。田んぼだけでなく、さくらんぼや林檎、ラフランスなど果樹園もダメです。タバコもホップもダメ。すべて農薬が撒かれますから、桑に農薬がついたら蚕が死んでしまうんですね。

そうした限られた条件の中で見つけていたとき、たまたま山の上の方に平らなところが見つかって、そこしかないとなりました。

ですがここには、もともと300本以上の木々があり、私たちが整理する当初はに手入れされていない状態でした。それで、この木々を切らなければならないということで、業者にお願いして、木を切ってもらった訳です。

ですが、業者は切るだけなんですね。切ったあとは、私たちが処理しなければならない訳です。急斜面のところがあるので、そこで木を降ろしたりするなかで、腰をやられましたね。そして伐採の次は、抜根もしなければなりません。これもまた大変です。そうやって300本以上植わっていた木々を処理してやっと、桑畑作りに取りかかれるようになった訳です。本当に想像以上に大変で、やるんじゃなかったな。(笑)

でも養蚕は、白鷹だからこそできたと思っています。白鷹はかつて養蚕が盛んな場所だったので、70代、80代に養蚕を知っている人たちがいたんですね。

そういう方々に教えてもらいながら、養蚕をすることができた。本当にそれは、とてもラッキーなことだったと思います。

養蚕農家になって知った絹糸の尊さ

冨田社長:

養蚕農家を自分たちでやってみて初めて、養蚕の凄まじい苦労が分かりました。

僕たち呉服屋が扱うものって完成品じゃないですか。問屋だって完成品しか知りません。問屋の前のメーカーだって絹糸しか知らないです。製糸会社も繭までしか知らない。

その前の、養蚕農家が、どう苦労をして繭を作っているのかということを、養蚕をやることで、初めて身にしみて学びました。

だって一反の着物を作るのに、繭は約2600個必要なんですよ。そして一つの繭は、1.2kmの長さの細い糸から作られています。蚕が吐く長さです。すごい長さですよね?

1.2km×2600個、これ合計すると300km近いんですよ。実は、この長さ東京から山形までの距離です。こんなにも長い繊維を使っているのに、着物って着てお分かりのように、本当に軽いですよね。これってとても凄いことだなって思いませんか?

そしてこの2600個の繭を作るのに必要となる桑の量ですが、100Kgです。100kg。こんなに食べるんですよ、お蚕様たちは。

蚕は最初はとっても小さいので、あまり桑は食べないんですが、だんだんと凄い量を食べるように成長していきます。そうなると、桑を食べる音がもう凄いんですよ。シャワシャワシャワって、もの凄い音がします。

それで一通り蚕が桑を食べ、もうお腹いっぱい、これ以上食べないとなると、蚕は首を立てて頭を振るようになります。一斉に蚕たちがそうなるんですが、これが繭を吐き始めようとしている合図です。

そうなったら、僕は「繭団地」って呼んでるんですが、繭を作るための道具(蔟)の上に蚕たちを入れます。その道具には一つ一つ小さな枠があるのですが、そうすると蚕は自然と一つずつ枠のなかに自分たちで入っていって、自分の身体の中に入っている成分を全部出しきるようにして繭を作ります。本当に不思議ですよね。

こうした体験をして、改めて、絹を大事に使わなければなあって、本当に思いましたね。

山形市に「染織工芸」という工房を10年前に設けたんですが、現在は、5人の女性の織り子たちがここで「とみひろ紬」を自分たちの手で年間通して作っています。

ただ養蚕の繁忙期になると、お話ししたように、蚕が本当にたくさんの桑を食べるようになるので、人手が足りません。こうなると手伝ってもらうしかないということで、工房に勤めている彼女たちにも桑畑へ行ってもらうんです。

白鷹の桑畑までは山形市から1時間くらいかかります。蚕は朝早くから桑を食べますから、みんなで朝4時とか5時に集まって一緒に車にのって白鷹に向かい作業をします。

大変なことではありますが、この経験をしてから、彼女たちのものづくりに対する姿勢にも変化がありました。蚕を育てることで、絹糸の尊さを改めて感じたんだと思います。そうした姿勢の変化は、生み出される反物・作品にも確実に表れていると思います。

着物の作り手を育てる責任

冨田社長:

現在、私たちの「染織工房」で働く彼女たちは全員、テキスタイル学科を卒業しています。実は今、テキスタイル学科を出ても、仕事先が全然ないんですね。ですので、私たちの工房には、全国色々な地域から来ていますよ。沖縄芸術工科大学、金沢美術工芸大学、山形の東北芸術工科大学、あと東京、仙台です。

沖縄からも来てくれたんですよ、山形に!これには驚きましたね。こっちは沖縄と違って雪が降りますからね、それも2mも積もりますから。でも、頑張っています。

やはり、これから長く着物文化を守るには、若い20代を育てていかないとなりません。彼女たちが頑張って、そして次の世代も育ててもらわなければなりません。

「染織工房」で作る着物はすべて、草木染めです。一切、化学染料は使っていません。そしてすべて、手機です。「染織工房」の彼女たちが自らデザインを作り、染色して、織り上げる。完成までに約3ヶ月かかります。

大体市場に出回っている着物は機械で織られていますので、同じものが100反、200反と作れます。ですが私たちはすべて手仕事ですから、世界に一つしかない一反なわけです。

世界の染色技術の中でも、日本は非常にレベルの高い技術を持っているんです。特に、草木染めに関しては。なので、こうした何千年も受け継がれてきた日本の技術を絶やす訳にはいかない、続けていかなければいけないと思いで、若い彼女たちと一緒にやっています。

実は、この”自社でモノ作りを”、という私たちの姿勢は、10年前に設けた「染織工房」の設立に先駆けて、和裁工房の設立がありました。

和裁工房、これは20年前に設立したんですよ。今はもう、和裁士っていないんですよね。ほとんど着物も海外縫製ですから。でも海外縫製だと日本とやり方が違うんです。海外だと、一つの着物を仕立てるのに4人か5人でやる、つまり分業なんですね。あなたは右袖、あなたは左袖、というように別々です。

ですが日本の和裁士は違います。1人で裁って、1人ですべて縫います。それが日本の和裁士です。こうした人たちが技術を捨ててしまったら、もう戻りません。そうした状況を作らないようになんとかしたいな、と思って、和裁工房を作ったんです。

そして20年前、和裁工房設立当時、私が和裁士さんに参加していただくために説得に使ったのが、「漬物理論」です。(笑)

昔は漬物は各家でみんな作っていたじゃないですか? 漬物は買うものではなかった。でも、そのうちみんな自分の家で作らなくなって、漬物も買うようになって、そしたら大きな漬物屋工場が生まれるようになった。

和裁も同じ道を辿る、と、当時若かった和裁士たちに説得した訳ですよ。

昔は花嫁修行でどんな女性も縫製技術が出来ましたよね。でも、そんな女性もいづれ少なくなっていくなかで、漬物が辿った道のように、和裁士さんのところに仕事が集中すると、そう説得した訳です。(笑)

当時、皆さん20代で若かった。今、うちには30名の和裁士がいるんですが、そのうち1/3は一級和裁士です。

日本の和裁技術とは、直線裁ちです。直線裁ちの技術というのは、日本の着物とインドのサリーにしかないんですね。他はすべて曲線です。

曲線とは体に合わせますよね、ですから、その人には合うんですが代々は使えません。着物は直線だから、代々着ることができるんですね。

今私きているこの着物、100年以上のものです。うちのおじいさんの着物を洗い直しして、仕立て直しして着ています。よく着物は、箪笥の肥やしになってしまう、って言われますよね?そうなんです、箪笥の肥やしになるんです。洋服ではそうはいきませんからね。(笑)

純山形産着物の誕生~黒の振袖へ込めた思い

冨田社長:

私たちが養蚕から着物作りをはじめた理由の一つに、なかなか日本で、ものが作れない時代になってきたなと肌で感じていることがありました。もう、養蚕から初めるような一貫したものづくりでないと、続かないかもしれません。

例えば京都ですら、西陣ですら、今、職人さん、作家さんがすごく減っているんですね。ですから、これからは、ものづくりの人たちが協力しながら、そして売り手である我々も作家と一緒にリスクを背負ってやっていかないと、着物は残らないと思います。それぐらいの危機意識を持たないと、30年後は、着物は博物館に飾られる過去の歴史になってしまうかもしれないですね。

私たちは創業して440年を迎えることが出来たわけですが、それはつまり、この日本で440年間お世話になってきた、ということです。ですから、日本に対して恩返しをしなければらなない、そう思ってますし、それが私たちの使命だと感じています。

今、着物で400年続いている会社は、うちと京都にと、2社しかないんですね。その意味でも、着物を残して日本文化を繋ぐ、その使命を持たなければならないと思っています。

冨田店長:

3年前、蚕の食べる餌となる桑畑から作って、それで今年やっと、絹糸から完全に、一から全部弊社で作ったという着物が完成しました。

この度、皆様に初お披露目しますが、オリジナル絹糸を使って作った着物は、黒色の振袖なんです。

振袖で”黒色”と聞くと、驚かれるかもしれないですよね。通常、振袖は赤色とか、他の色のイメージがあられると思います。ですが今回の作るにあたってのテーマが「大人の振袖」だったので、他にはないデザインで作り上げました。

私たちのように、糸から着物作りを完全自社でやっているところは他にないですから、そうした何処にもないという表現を求めて、黒い振袖を作ったわけです。

この黒なんですが、もちろん草木染で染め上げています。栗いがと、ログウッド、カッチを使ってこの黒を表現しました。草木とは思えないくらい深い黒が表現出来たと自負しています。

織り方については、吉野格子です。私たちは一から手織りですべて行っていますので、平織ではなく、手仕事の魅力を感じていただける特殊な織り方にしました。

冨田社長:

みなさん、振袖って、なんでこんなに袖が長いか知ってますか?他の着物は袖短いですよね?

これは、魂呼(たまよ)ばいという、魂を呼ぶ儀礼から来ています。今で言う善だま、悪だまですね。たまっていうのは、霊魂です。

善だまは、昔は、ワニダマ(和魂)と言いました。悪だまは、アラダマです。これは、仏教が入ってくる前の、古代信仰として日本にあったものです。良い行いをすると、ワニダマが自分について、自分の家族にも良いことが来るという考え方です。また、一方で、自分が悪いことをすると、アラダマがついてしまって、自分にも家族にも災いが来るという考え方です。

昔は、子供が生まれても、元気に成長するとは限らなかったですよね。死んでしまう子供も多くいました。

そうした中でやっと元気に育ってきた、そうしたら、亡くなった子供たちの分まで、その子が幸せになってほしいと願うじゃないですか、親は。

それで、この振袖の長い袖には、善だま、ワニダマがたくさん入って幸せになるように、という思いが込められているんですよ。腕を振ることによって、ワニダマがたくさん自分のところに入ってくるように、そうした宗教的意味合いがあるんです。

着物の文化っていうのは、こうした日本古来の祈りや、考え方が反映されて形作られているんですよ。だからこそ、途絶えさせる訳にはいかないんです。

冨田店長:

養蚕を実際に私たちでやってみて、産業としての厳しさをしみじみと肌で感じています。ただ同時に、養蚕の文化としての豊かさと可能性の深さも、感じているところです。

例えば、私たちが養蚕を白鷹で再開したことに伴って、50年ぶりに、桑畑近くの白鷹にある養蚕神社で豊作の祈祷が開催されました。養蚕を行うことを通じて、そうした地域の文化も掘り起こすことが出来ることが分かりました。とても重要な意義だと思っています。

そんな風にしながら、これからも絹や着物の文化の豊かさを発掘し、伝えていけたらと思っています。

本日はみなさん、ご来場下さりありがとうございました。

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次回予告

YORIAI 1-1-1 VOL.6   語り部:前島 淳也(グラフィックデザイナー) 

10/19FRI19:00~

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衣食住を楽しく彩るためのモノづくりをしている様々な方々に、青山とみひろ店長 冨田和司が、

それぞれのストーリーを尋ねながら、手仕事のこれからについて寄合形式で考えるプロジェクト「YORIAI1-1-1」。

1-1-1とは「青山とみひろ」が青山1丁目1番地1号に位置していることに因んでいます。

第6回目は、グラフィックデザイナーの前島淳也氏を語り部に迎えてお送りします。

※YORIAI1-1-1は、ずっと大切に使うためのモノづくりを大事に考えています。

当日は、是非あなたの”大切なモノ”を身につけて起こしください。そのストーリーを是非教えてください。

 

イベント概要

日 時:10月19日(金)19:00~21:00

場 所:青山とみひろ(東京都港区 南青山1-1-1 新青山ビル西館1F

※青山一丁目駅(東京メトロ銀座線・半蔵門線、大江戸線)直結のビル1Fです。

入場料:

事前予約:1500円 (1ドリンク、おつまみ付) ※18日迄のお申込を、事前予約とさせて頂きます。

当日受付:2000円 (1ドリンク、おつまみ付)

 

お申込:青山とみひろ→ TEL :03-6804-1051       Mail: t.aoyama@tomihiro.co.jp

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