貝紫

|伝説の紫

神々の時代にヘラクレスが、その妻に貝紫で染めたマントを贈ったのが、貝紫のはじまりです。聖書にも記され、高貴な色としてオリエントの英雄をとりこにしたと伝えられています。

今から約3600年前、「貝紫」は地中海の海洋国フェニキアの特産品として、周辺国へもたらされました。
ギリシャ・ペルシア帝国・ローマ帝国・東ローマ帝国、様々な民族国家へと受け継がれ、激動する歴史の流れの中で幾多の逸話を残してきました。

「旧約聖書」のモーゼやソロモンの話や、プルターク英雄伝などにおいて、“紫の衣”、“王の紫”として登場します。

「ローマの武将シーザーは貝紫の衣をまとい、エジプトの女王クレオパトラは豪華な船の帆を貝紫で染め、アントニウスのもとへと。」

英雄伝

 しかし、この貝紫は、1453年の東ローマ帝国滅亡と共に、こつぜんと姿を消してしまいます。
 以来、いくつかの文献や博物館に『幻の色』として伝わるだけとなってしまったのです。


|メキシコで受け継がれていた貝紫染

1909年アメリカの文化人類学者ゼリア・ナットルによって、貝紫がメキシコインディオ「ミステカ族」の文化の中に生きていたことが奇跡的に発見されます。そして、それは「地中海の伝統の名残」、かつてクレオパトラが愛した貝紫と同種の貝だったのです。貝紫染は、海を越え遠いメキシコインディオによって、静かに守り伝えられていたのでした。

ミステカ族の男たちは、幾世紀もの間、愛する女性のために貝紫で美しい糸を染め続けてきました。海を知らない若者も、恋人ができると彼女のために紫の糸染めの旅へ。

出発は満月の夜と定められ、淡い月光の中を貝紫の海へと旅立ちます。しかし、ミステカ族は山奥深くに住む民族であり、村から海まで約300キロの道のりを3ヶ月もかけて歩かなくてはなりません。

猛毒サソリ、イグアナ、ヘビ…常に危険に晒されながら険しい山道を抜け、やっとの思いで目的の海岸へたどり着きます。

しかし、試練はまだここから。
貝紫が採れるヒメサラレイシ貝は、大波が押し寄せる岩壁の隙間という特殊な場所にのみ生息しています。

青年たちは、波が引き、返ってくる僅かの間に貝を見つけ、糸を染めなくてはなりません。波にさらわれ、岩に叩きつけられて何人もの青年が、愛する人と結ばれることなく、この海で生命を落とすことも少なくないといいます。愛する女性に求婚するために、ミステカの青年たちは命がけで試練を乗り越えなければならないのです。

焼けつくような太陽の下で、根気よく3ヶ月に渡って染め続けられます。

アクキ貝科の中でも、メキシコのヒメサラレイシ貝は、生きたまま染色をすることができる唯一の貝*です。それは、口蓋(貝の口)が大きく染料を作る器官(パープル腺)が呼吸器に近いため、貝自ら染料を出すからです。
*そのほかの貝による貝紫染は、通常パープル腺から染料を取るために貝を潰さなくてはなりません。

ヒメサラレイシ貝の出す分泌液が、神秘の紫の染料となります。クレオパトラは、1グラムの染料を得るのに、およそ2000個の貝から染料を作りました。染料は、はじめ乳白色でそれが太陽にあたるとたちまちに黄色からブルー、ダークグリーン、そして紫に変化して定着します。

その色の変化は、まるで何万年もの時空をタイムトンネルで越えたような不思議な感覚。それはメキシコの灼熱の太陽の下でしか見ることのできないファンタジックな世界です。貝は、染色後には必ず生きたまま元の岩場に戻します。

染めた糸は、村に持ち帰り許嫁の女性がその糸を満月の光にかざします。満月の神聖な力が貝紫の糸にはたらきかけ糸をより美しく仕上げると信じられているからです。

織り上げられた貝紫のポサワンコは、花嫁衣装となり、インディオ文化の歴史を築いてきました。ミステカの女性が亡くなると、そのポサワンコを親しい人達で形見分けします。さまざまな模様は、それぞれの家々に伝わり、母から娘へと伝え継がれていったのです。

メキシコのミステカ族が住む山村
貝紫の糸を使い、女性によってポサワンコ(腰巻)が手織りされていた
こんな小さなサソリとはいえ猛毒を持つ。刺されれば三日三晩うなされるという。
2人1組となって、染色作業に向かう
大波押し寄せる岩場での染色作業。命を落とすことも…。

>>令和元年 貝紫展 開催:10月24日(木)〜27日(日)銀座かねまつホールにて。